手賀沼男ヒストリー

43歳、3kmも走れなかった — 6年間の全記録を公開する理由【手賀沼男ヒストリー #1】

走り始める前(2020年)とトライアスロン完走後(2026年)の6年間の変化

2020年のゴールデンウィーク、43歳の私は3kmも走れませんでした。

正確に言えば、走ろうとして、3kmで足が止まり、歩いて家に帰りました。運動経験ゼロ。息が上がるより先に、心が「もう十分だろう」と言ってくる。43年間、体を追い込むという経験をしてこなかった人間とは、そういうものです。

それから6年後の2026年6月、49歳の私は、トライアスロンのミドルディスタンス(スイム1.9km・バイク67.6km・ラン20.2km、獲得標高874m)を完走しました。

この連載は、その6年間の記録です。

なぜ「記録」と言い切れるのか

ただの思い出話にはしたくありませんでした。思い出は、都合よく美化されます。「あの頃はつらかったけど頑張った」——そういう物語は、あとからいくらでも作れてしまう。

だから私は、一次資料だけで書くと決めました。

この6年間、私はGarminを着けずに運動したことが一度もありません。その全2,632件の記録が、1件残らず残っています。初めて時計をつけて走った2020年5月30日の10.06km・56分32秒から、諏訪湖のゴールまで、すべて。加えて、公式レースの記録証と、当時リアルタイムでFacebookに書き殴った投稿が362件。

記憶は美化されますが、データは美化されません。距離も、心拍も、ペースも、あの日の言葉も、全部そこにあります。この連載の数字は、一つの例外もなく実測値です。

手賀沼の湖畔を望む緑道
練習の95%はこの手賀沼の緑道で

続いた理由は、根性ではなかった

先に、この連載でいちばん伝えたいことを書いておきます。

43歳・運動ゼロの人間が6年続けられたのは、才能でも、特別な環境でも、まして根性でもありませんでした。続いたのには、はっきりした仕組みがあったのです。私の場合、それは3つでした。

  • 記録すること(Garmin)。走った分だけ数字が伸びる。この「見える化」が、次の一歩の燃料になりました。
  • 宣言すること(SNS)。走るたびにFacebookに書く。逃げ道を自分で塞ぐと、人はやめにくくなります。
  • 相棒をつくること。私の場合は、スマホゲームの「ドラゴンクエストウォーク」でした。笑われそうですが、これは今でも続けています。走っている間にゲームも進む——その二重の「進んでいる感」が、外に出る理由を一つ増やしてくれました。

この3つが噛み合った日から、運動は「意志で続けるもの」から「勝手に続くもの」に変わりました。詳しい話は#2以降でしますが、これから始める同世代の方に、まずこれだけは先に渡しておきたいと思います。

この連載で書くこと

前半(#2〜#7)は時系列の記録です。在宅勤務の健康対策として走り出した2020年から、初マラソン、トライアスロンへの転向、自己ベスト、そして何度かの故障を経て、ミドル完走まで。順調に見える立ち上がりにも、靴擦れでの離脱や、二度失敗した禁煙宣言が、ちゃんと混ざっています。

後半(#8〜#10)は分析編です。6年分のデータをまとめて解析すると、自分でも知らなかった法則がいくつも見えてきました。「月間270kmを超えた月の直後に、故障が集中している」「フルマラソンの結果は、直前16週の週平均走行距離とほぼ線形に連動する」——40代から始める人にいちばん役立つのは、たぶんこの後半です。

自己紹介

千葉県在住の会社員、49歳。練習拠点は手賀沼の緑道です。GPSログを全部集計してみたら、全ランの95%が手賀沼から5km圏内スタートでした。ニックネームはそのまま「手賀沼男」。仕事は普通にフルタイムでやっています。使っているのは、平日の朝と、週末の数時間だけ。

特別な人間の特別な話ではありません。むしろその逆を、データで証明していく6年間です。

次回、#2「2020年 — 月24kmが半年で260kmになるまで」。すべての始まりの年の話です。


データソース:Garmin全記録2,632件(2020/5/30〜)、レース記録証、当時のSNS投稿362件。本連載の数値はすべて実測値です。